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希望について考えてみたい。なぜ人は頑張れるのか。元気はどうしたら出るのか。
スパリゾートハワイアンズの前身、常磐ハワイアンセンターの開業は1966年。私は中学生で、親戚との旅行で行ったと思う。大きな空間と熱帯林に驚いた。フラガールという呼び名は聞かなかったが、腰をすごく振るので腹が痛くならないかと心配になった。「炭鉱がつぶれっから、こうして頑張ってんだ」という大人たちの話しぶりを聞いて感心したものだ。 東北に常夏のハワイをというのは奇跡的なアイデアだった。石炭1トン掘るのに30トンも排水したという豊富な温泉。それを逆手に取り温水プールや娯楽施設を作る。この辺までは凡人でも考えられる。だが、バナナやヤシを植えてハワイを作る、ましてや従業員の娘たちにフラダンスを踊らせるというは尋常でない。柱のない7000平方メートルの大空間は石炭貯蔵場と同じ工法。すべて当時の常磐炭礦副社長、後に常磐興産社長となる中村豊氏(故人)の発想だ。 「ハワイに行く」といえば「常磐ハワイか」と突っ込むのが国民的なギャグになる。その成功は戦後の日本人に一つの希望を示すことにもなった。そんな魅力的な物語を今の若い世代にも知らせてくれたのが映画「フラガール」(李相日監督、06年)だった。 ドキュメンタリー映画「がんばっぺ フラガール!」が、きょう29日から県内2館(福島、いわき両市)はじめ全国22館で公開される。施設が損傷し危機にひんしたハワイアンズが炭鉱以来の「一山一家」精神で立ち上がる。再開をめざすフラガールの全国キャラバンを追うと、避難先で出会う被災者から原発事故の実情が浮かび上がってくる。 双葉町出身のサブリーダー、大森梨江さんがクローズアップされている。ダンサーとしての活動だけではない。原発から2キロの実家への一時帰宅の様子、離れ離れになっていた愛犬との再会なども。 試写の後、小林正樹監督に話を伺った。監督は「犬が見つかったんですよと、彼女の方から教えてくれたんです」と明かしてくれた。「彼女は記録してほしいという。実家への一時帰宅のときもそうでした」。大森さんの思いが監督を引っ張ったのだろう。 記録しておくこと、それが心の支えにもなる。映画は自然にそうなってきた。 そして10月1日、復活ステージの場面。フラガールも社員も客も涙を抑え切れない。試写を見る私も隣の人も。 福島の「希望」を教えてくれたフラガールに感謝。(毎週土曜日掲載) ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇かぶき・まさお 1951年喜多方市生まれ。同市立第二小、同第一中、喜多方高、東大卒。75年毎日新聞入社。千葉支局を振り出しに学芸部長、編成総センター室長、新聞研究本部長、論説委員長を経て11年10月から専門編集委員。7月から「きたかた大使」。 10月29日朝刊 (この記事は福島(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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