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【2026/02/04 22:37 】 |
横須賀で「観音崎フェスタ」-観音崎灯台公開、ガリバー上陸ファンタジーも /神奈川


 横須賀東海岸の観音崎公園(横須賀市鴨居)で11月3日、「灯台の日」にちなんで観音崎灯台を一般公開するほか、地元町内会の模擬店やガリバー・ファンタジーなど多彩なイベントを展開する「観音崎フェスタ」が行われる。(横須賀経済新聞)



 ジョナサン・スイフトの小説「ガリバー旅行記」で、日本上陸の地が観音崎との説があることから、ガリバー上陸を再現したガリバー・ファンタジーが近年人気を集めている。米海軍横須賀基地のボランティア米国人がガリバー役に扮して子どもたちと交流し、ガリバーブーツ投げ大会なども(10時45分~)。今年9月に同旅行記の続編「狩場(カリヴァ)最悪の航海記」(文藝春秋刊)を執筆したミステリー作家・山口雅也さんのサイン会(12時30分~)も予定。



 同会場では、地元町内会による模擬店、「よこすかソーラン踊り」などの舞台アトラクション、観音崎クイズ大会、卵掴み大会なども。観音崎灯台を一般公開するほか、横須賀美術館も無料開放する。



 当日は、浦賀~観音崎航路を1日限定で運航。浦賀(住重浦賀工場東岸)~燈明堂~海驢島(あしかじま)~観音崎の間を運航し、灯台や浦賀の歴史などの船内ガイドも行う。1日3便。各便定員80人。同航路の詳細はトライアングル(TEL 046-825-7144)まで。



 同フェスタの開催時間は9時30分~15時30分。 問い合わせは同実行委員会(TEL 046-841-4155)。





(この記事は神奈川(みんなの経済新聞ネットワーク)から引用させて頂きました)





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【2011/11/01 04:24 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
【CEATEC 2011(Vol.21):動画】注目集める、TDKの急速ワイヤレス給電


 TDKのブース正面では、ワイヤレス給電のデモに人だかりができていた。



 同社の技術は給電側のコイルと受電側のコイルを非接触でデバイスに配置し、磁場共鳴現象を利用することで効率良くワイヤレスで電力伝送を行うもの。給電側と受電側の距離が変わったり、位置がずれたりしても、同社独自の自動調整回路が最適な電力伝送を行う。



他の写真を見る



 デモでは、スタンド(給電)に置いたヘッドフォンに電力を伝送する様子を展示。ヘッドフォンにはリチウムポリマー2次電池が搭載されているが、スタンドに置かれたヘッドフォンを多少話したり揺らしてもしっかりと充電されていた。



 また、この仕組みを応用したデモとして、自動車のパワースポット充電がアピールされていた。給電スポットに停車すると、受電コイルを搭載した車は即座に充電を開始し走り出す。スポットと車は非接触(ワイヤレス)で充電されるため、例えば駐車場にこの仕組みを応用したり、走りながら連続で給電(受電)するなどのシステムが考えられるという。ブースでは、これを小さな車の模型で分かりやすく説明しているが、驚かされるのは、その給電の速さだ。この速さは、同社の電気2重層キャパシタによって実現されている。高出力 LEDフラッシュ用EDLCは内部抵抗による電圧降下が小さく、短時間大電流消費回路に向いている。厚さ2.7mmに封じ込めた500mFの大容量で、数ジュールのエネルギーを急速に充放電するとしている。







(この記事はテクノロジー総合(RBB TODAY)から引用させて頂きました)







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【2011/10/31 20:28 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
柿の日:JAならけん、県産柿配布しPR 国立博物館と法隆寺で /奈良
 「柿の日」の26日、JAならけんは奈良市の奈良国立博物館前と斑鳩町の法隆寺前で、観光客や修学旅行生らに県産柿を無料配布し、PRした。

 柿の日は、正岡子規が奈良に滞在中の1895(明治28)年10月26日、有名な句「柿く(食)へば鐘が鳴るなり法隆寺」を着想したことにちなみ、05年に制定された。

 法隆寺前では、JAや県、生産者の代表が五條市西吉野町産などの「刀根早生柿」2個入りの袋500袋を「次は買ってね」と声をかけながら、修学生らに配った=写真。

 和歌山県有田川町賢の森陽子さん(63)は小学校時代の同級生と修学旅行で行った場所を訪れる旅行中で、「ラッキーです」と喜んでいた。【熊谷仁志】



10月30日朝刊





(この記事は奈良(毎日新聞)から引用させて頂きました)








越智隼人のサッカー上達法DVD 元Jリーガーが教える自宅・サッカー上達法
軽自動車 高価買取査定の比較ランキング ダイハツ・スズキ・ホンダ・三菱自動車
笑っていいとも 戸瀬恭子のバストアップ法
【2011/10/31 03:09 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ジャーナリスト・田原総一朗が語る紳助「テレビと吉本興業は紳助を守るべき! 引退の必要は全くない!!」
 紳助さんは引退はすべきではなかった。なぜなら、引退する理由が何もないから。メディアは「すぐにスキャンダルが暴かれるだろう」と書き立てたが、結局、本人が話したこと以外には何も出てきていない。つまり、あれはとても正直な会見だったわけです。



 紳助さんが暴力団と関わりを持つ発端となったのは、テレビ番組での右翼に関する発言。十数年前のバラエティ番組でのことで、本人は収録現場を盛り上げるために、カットされることを前提で話したはず。なのにカットしなかったのは、テレビ局のミスだ。その上、テレビ局と所属事務所は、右翼の攻撃から紳助さんを守ろうとしなかった。紳助さんは弁護士に相談したけれどもいい解決策がなく、親しい元ボクサーに頼るほか手がなかった。その結果、元ボクサーが暴力団に解決を頼んだ。紳助さんを非難する人はこういう場合、「ではどうすべきだったか」意見を言うべき。解決策を何も言わずに一方的に批判するのは、説得力がない。



 僕も『サンデープロジェクト』(テレ朝)で右翼を批判して、街宣車が15台ほど来たことがある。そのときは、ひとりで右翼団体200社相手に2時間以上討論して解決した。でも、それは僕がジャーナリストだからできること。タレントには無理でしょう。



 会見後、暴力団関係者に宛てた手紙や写真が出てきたから「アウトだ」という人もいるが、写真なら僕も取材時に何度も一緒に撮っている。それだけでは「黒い交際」とは言わない。「黒い交際」というのは、金を渡した・もらったという関係をいう。政治家においても問題とされるのは、その点。紳助さんには、金銭の授受はない。



 そもそもこの一件は、10年も前の話。メールのやり取りも数年前の話です。そんな昔のメールがなぜ今出てくるのか。これは何か裏があるはず。新聞も週刊誌もテレビも、まず最初にこの点を追及するべきだ。



 近ごろテレビのジャーナリズムは、「事実の追及」ではなく「無難の追及」になっている。今は紳助さんを批判するほうが「無難」とされているので、テレビで下手に彼をかばうと、コメンテーターは出演できなくなる可能性さえあるから、何も言えない。テレビはここまでダメになった。本当に情けない。



 紳助さんは、90年4月から04年3月まで『サンプロ』の司会者を務めていた。実は、「紳助さんを起用してはどうか」と提案したのは僕。それまでの報道番組の司会者が、政治をわからないのにわかったふりをしているのが、僕はすごく嫌だった。その点、正直に「わからない」と言えるのは紳助さんしかいないと思った。紳助さんは司会者として非常に勘がいい。「どう思う?」と聞いたら、的確な反応をする。



 印象深いエピソードに家族旅行の話がある。紳助さんは、家族旅行の際、自分はグリーン車に乗っても、子どもたちと奥さんは普通車に乗せるそうだ。子どもをグリーン車に乗せると、偉くなったと勘違いしてしまうと。教育のための配慮だそうで、とても感心した。



 紳助さんが『サンプロ』を辞めたのは、お笑いに徹するため。「『サンプロ』に出演して、芸能界で一人前として扱われるようになった。コマーシャルもサラリーマン代表というイメージで出られるようになった。とてもありがたい。でも、今後はお笑いに徹したい」と。その後のバラエティでの活躍は皆さんご存じの通り。紳助さんは、全身全霊でお笑いをやっていた。



 今後、「政界に進出するのでは」という噂もあるが、僕はないと思う。政界はそんなに面白いところではない。紳助さんには、芸能界が一番合っている。だからこそ、非常に残念なんです。

(構成/安楽由紀子)





たはら・そういちろう

1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学卒業。64年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)入社、77年からフリーに。『激論!クロスファイア』(BS朝日)ほか多方面で活躍中。





(この記事はエンタメ総合(サイゾー)から引用させて頂きました)





【2011/10/31 00:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ほんとの空へ・お~い福島:フラガールが教えた「希望」=冠木雅夫 /福島
 希望について考えてみたい。なぜ人は頑張れるのか。元気はどうしたら出るのか。

 スパリゾートハワイアンズの前身、常磐ハワイアンセンターの開業は1966年。私は中学生で、親戚との旅行で行ったと思う。大きな空間と熱帯林に驚いた。フラガールという呼び名は聞かなかったが、腰をすごく振るので腹が痛くならないかと心配になった。「炭鉱がつぶれっから、こうして頑張ってんだ」という大人たちの話しぶりを聞いて感心したものだ。

 東北に常夏のハワイをというのは奇跡的なアイデアだった。石炭1トン掘るのに30トンも排水したという豊富な温泉。それを逆手に取り温水プールや娯楽施設を作る。この辺までは凡人でも考えられる。だが、バナナやヤシを植えてハワイを作る、ましてや従業員の娘たちにフラダンスを踊らせるというは尋常でない。柱のない7000平方メートルの大空間は石炭貯蔵場と同じ工法。すべて当時の常磐炭礦副社長、後に常磐興産社長となる中村豊氏(故人)の発想だ。

 「ハワイに行く」といえば「常磐ハワイか」と突っ込むのが国民的なギャグになる。その成功は戦後の日本人に一つの希望を示すことにもなった。そんな魅力的な物語を今の若い世代にも知らせてくれたのが映画「フラガール」(李相日監督、06年)だった。

 ドキュメンタリー映画「がんばっぺ フラガール!」が、きょう29日から県内2館(福島、いわき両市)はじめ全国22館で公開される。施設が損傷し危機にひんしたハワイアンズが炭鉱以来の「一山一家」精神で立ち上がる。再開をめざすフラガールの全国キャラバンを追うと、避難先で出会う被災者から原発事故の実情が浮かび上がってくる。

 双葉町出身のサブリーダー、大森梨江さんがクローズアップされている。ダンサーとしての活動だけではない。原発から2キロの実家への一時帰宅の様子、離れ離れになっていた愛犬との再会なども。

 試写の後、小林正樹監督に話を伺った。監督は「犬が見つかったんですよと、彼女の方から教えてくれたんです」と明かしてくれた。「彼女は記録してほしいという。実家への一時帰宅のときもそうでした」。大森さんの思いが監督を引っ張ったのだろう。

 記録しておくこと、それが心の支えにもなる。映画は自然にそうなってきた。

 そして10月1日、復活ステージの場面。フラガールも社員も客も涙を抑え切れない。試写を見る私も隣の人も。

 福島の「希望」を教えてくれたフラガールに感謝。(毎週土曜日掲載)

………………………………………………………………………………………………………

 ■人物略歴

 ◇かぶき・まさお

 1951年喜多方市生まれ。同市立第二小、同第一中、喜多方高、東大卒。75年毎日新聞入社。千葉支局を振り出しに学芸部長、編成総センター室長、新聞研究本部長、論説委員長を経て11年10月から専門編集委員。7月から「きたかた大使」。



10月29日朝刊





(この記事は福島(毎日新聞)から引用させて頂きました)





【2011/10/29 11:10 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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